映画『ドールハウス』ネタバレ感想:想像させる恐怖が際立つ人形ホラー

映画

高評価と聞いてようやく視聴しましたが、前評判通りの面白さでした。 

以下、感想となりますがネタバレが含まれておりますので、閲覧の際はご注意ください。 

作品情報

〈出演者〉
長澤まさみ 
瀬戸康史 
田中哲司 
池村碧彩  
本田都々花 
アヤ 
ほか

〈スタッフ〉
監督/原案・脚本:矢口史靖
主題歌:ずっと真夜中でいいのに。「形」
製作:市川南・上田太地
エグゼクティブプロデューサ:臼井央
企画・プロデュース:遠藤学
ほか
(参考:映画公式サイト)

あらすじ

鈴木佳恵は愛する娘・芽衣を不幸な事故で亡くして以来、精神的に不安定な日々を送っていた。
そんなある日、骨董市で亡き芽衣にそっくりな人形・アヤを見つけ、家に連れ帰る。
アヤを本物の娘として可愛がることで、少しずつ心の安定を取り戻していった佳恵だが、やがて夫・忠彦との間に次女・真衣が生まれると、佳恵のアヤへの関心は急速に薄れてしまう。
しかしその5年後、ひょんな事から真衣がアヤに興味を持ち、一緒に遊び始めた頃から、家族の周囲で次々と不可解な異変が起きはじめ……。(参考:映画公式サイト)

想像に委ねられる恐怖か、形を持った恐怖か

正直なところ、これまで人形ホラーをあまり観てこなかった上、「人形ホラー=洋画」というなんとなくのイメージしか持っていなかったのもあり、最初から最後まで新鮮な気持ちでホラー演出を楽しめました。
人形・アヤの髪が伸びたり、捨てても捨てても戻ってくる展開は、いかにも人形ホラーっぽい演出です。しかしそれ以上に驚いたのは、派手な怪奇現象よりも、無表情のままただそこにいるだけのアヤの姿のほうがはるかに怖く感じた事です。
特に序盤はアヤが直接危害を加えるシーンがほとんど描かれず、ただ“いる”だけの時間が続きます。
その分観ているこちらで何をされたか勝手に想像してしまうので、怖さがどんどん膨らんでいきました。

せきゆら
せきゆら

そういう意味では、ゴミ収集車のシーンが滅茶苦茶怖かったです。

しかしストーリーが進むにつれ、アヤの正体が徐々に明らかになっていくと、彼女からわずかながらの感情が感じ取れるようになっていきます。
そこから母親のもとへアヤを返す展開になると、これまで想像に委ねてきた怖さが、一気にこちらへ迫ってくる直接的な恐怖へと変わっていきました。
さらに終盤では、アヤが怪物のような姿へと変貌し直接襲いかかってくるので、サイコロジカルホラーのような雰囲気から、モンスター系のホラーへと一気にジャンルまで変わってしまいます。
そのためどの恐怖演出が心に残るかは、受け手によって感想が分かれやすそうだと思いました。

せきゆら
せきゆら

個人的にはモンスター化によって恐怖の底が見えた事で、かえって安心感を覚えてしまったので、序盤の見せない演出のほうが好きでした。

丁寧な人物設定に驚かされる

人形のアヤは、背景設定が丁寧に作り込まれており、人を襲う理由についても明確で分かりやすく描かれていました。
しかしそれ以上に意外だったのは、アヤだけでなく主人公・佳恵とその娘たちにまつわる設定やストーリーまでしっかり作り込まれていた事です。
人間側の物語がここまで丁寧に描かれているホラーは珍しかったので、純粋に引き込まれました。特に冒頭からいきなり長女・芽衣を失うショッキングな展開は、観る側にとってもトラウマもので、初っ端からこの作品が持つ重さを思い知らされました。

せきゆら
せきゆら

本作の評判が良かったのも納得です。

また芽衣の死によって、佳恵が精神的に不安定な時期があった事で、後に怪奇現象に巻き込まれた佳恵がどれだけ被害を訴えても「あの時と同じ状態になっているのではないか」と夫・忠彦に信じてもらえないくだりは、伏線回収のような綺麗な流れで驚きました。
歯がゆいですが、確かに何も知らないとそう受け取られてしまうでしょう。
更にそこから、
忠彦が佳恵を強制入院させる→佳恵がいない間もアヤが怪異を起こす→忠彦も佳恵の話を信じるしかなくなる
という展開に持っていくまでの過程も丁寧で、話に説得力がありました。
ホラーを観ている時によく「そんなにアッサリ幽霊の存在を信じていいの?!」と思ったり「もう殺される寸前なのにまだ信じてないの?!」とツッコみたくなる瞬間が何度かあったので、そのあたりの小さなツッコミどころをすんなり飲み込めるように出来ていたのは、さりげなく嬉しかったです。

ラストはどこまでが幻覚だった?

ラストはアヤが見せてくる幻覚に立ち向かいながらも、無事彼女を母親の元へ返した佳恵と忠彦。家に帰ると真衣も元に戻っており、ハッピーエンド……かと思われましたが、そこはやはりホラー。
いつの間にかアヤの幻覚に敗北していた2人は、彼女を亡くなった娘・芽衣と混同してしまい、完全にアヤを娘と認識した状態で日常に戻ってしまいました。
本物の娘である真衣は存在そのものすら無視されてしまいます。
まさに真衣が生まれた時のアヤと同じ扱いです。

せきゆら
せきゆら

アヤに「お母さんを取り替えよう」と言われていた真衣ですが、本当に取り替えられてしまいました。(直接アヤの親の方へいったのは描写的に芽衣?)

アヤを母親の元へ帰してあげれば事態は解決するかと思われましたが、そもそも「アヤは日常的に母親から虐待を受けており、絶対に帰りたくなかった」という情報が抜けていた事で、最悪の対応をしてしまっていたのです。
確かに思い返してみると、アヤは母親との明るい思い出ではなく、無理心中させられた絵を真っ先に描いていたり、母親のいる場所へ近づいていくたびに喜ぶどころか凶暴化したりと、母親に良い印象がないことを示す伏線自体は、しっかり散りばめられていました。
しかしこれまで、娘を愛する事が当たり前である佳恵ならではの感性や視点からの物語を見せられていた事で、いつの間にか「親子はみんな一緒にいたいはず。だからアヤを母親のところへ返してあげれば解決する!」という流れを自然に受け入れてしまっていました。
そう思わせるのも計算の内だったのでしょうか。

せきゆら
せきゆら

ホラー映画のバッドエンドとしては、かなり絶望度が高い方だと思います。

しかしおおまかな真相は分かったものの、現実と幻想が入り混じる描写に関しては、その境目が非常に曖昧にされていました。
結局どのシーンまでが幻想だったのか。これについては公式HPにある鑑賞者限定特設ページ「ドールハウスハウス もっと面白くなる13のトリビア」にて、見分け方のヒントが掲載されていますので、気になる方はご覧ください。

せきゆら
せきゆら

他にも「あの演出ってそんな工夫があったの?!」と驚かされる情報も盛りだくさんなので、視聴済みの方には是非見て欲しいです。

最後に:何気にツッコみたくなったシーン

序盤からアヤがあまりにも危険すぎて「お焚き上げ!誰かお焚き上げしようって言え!」と散々焦らされていた分、念願のお焚き上げシーンが斜め上すぎる展開で失敗したシーンはさすがに笑いました。
失敗するにしても、てっきりお焚き上げ中に僧侶達が返り討ちに遭うぐらいのオチしか想像していなかったので、予想をいい意味で裏切られました。

せきゆら
せきゆら

そこに愛はあるんか?


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