映画『残穢(ざんえ) ―住んではいけない部屋―』ネタバレ感想:「分かりません」の裏に潜む恐怖

映画

以前読んだ小説『残穢』がずっと印象に残っていたのもあり、映画版も視聴しました。
原作を読んだのは約1年前で、細かい内容の記憶までは薄れかけていたものの、映画を観ているとだんだん「ああ、そういえばこんな展開だった!」と当時の感覚がよみがえり、どこか懐かしい気持ちになりました。

以下、感想となりますがネタバレが含まれておりますので、閲覧の際はご注意ください。 
小説版の感想はコチラ

作品情報

〈出演者〉
竹内結子 
橋本愛
滝藤賢一
佐々木蔵之介
坂口健太郎  
山下容莉枝 
成田凌 
吉澤健 
不破万作 
上田耕一
ほか

〈スタッフ〉
原作:小野不由美『残穢』
監督:中村義洋
脚本:鈴木謙一
ほか
(参考:松竹 作品情報)

あらすじ

怪談を扱う小説家である〈私〉のもとに、女子大生の読者・久保さんから
「引っ越した部屋で奇妙な音がする」という相談が届く。
二人で調査を進めるうち、その部屋だけでなく建物全体、さらには土地にまで連なる“怪異の連鎖”が浮かび上がっていく。
過去の事件と人々の死が複雑に絡み合う中〈私〉と久保さん、そして協力者たちが辿り着いたのは、思いもよらない“穢れ”の源だった——。 
(参考:松竹 作品情報)

サスペンス・ミステリー要素が強い

原作の『残穢』は、主人公である〈私〉の取材記録を淡々と辿るモキュメンタリー風の構成が大きな特徴でした。
しかし映画版では〈私〉と久保さんたちが登場し、実際に取材を進めていく様子が描かれています。
そのためホラーというよりも、手探りで謎解きをするミステリーやサスペンスの雰囲気の方が強かったように感じました。

幽霊のCG化が別の意味でヤバイ

サスペンス・ミステリー要素も強くて面白い作品なのですが、唯一気になったのは穢れと化したこれまでの犠牲者たちが、CG化して登場しているシーン。
ホラー映画に幽霊が出てくるのは当然なのですが、『残穢』の魅力は一般的なホラーとは少し違う、知らないうちに穢れの感染が広がっていく見えない恐怖だと思っていたので、個人的には姿を見せてアピールしてくるよりも「見えないのに何かがいる」という感覚でゾッとさせて欲しかったです。
特に重要な立ち位置である炭鉱夫の霊が、真っ黒な全身タイツに近いシルエットのCGで登場してくるので、強さよりシュールさが勝ってしまっていました。
燃やされた経緯があるとはいえ、せめて服ぐらいは残してあげて欲しかったです。

せきゆら
せきゆら

絵面がほぼコナンの犯人です。

エンドロールのお坊さんの意味

もともと謎の多い内容ではあるのですが、その中でも私が特に気になったのは、エンドロールで再登場するお坊さんのシーン。
本編では、主人公たちから炭鉱夫の怨念が宿ったとされる「美人画の掛け軸」について質問された際、かなり長い沈黙のあとで「分かりません」と答えていました。
しかしエンドロールでは、その婦人画が実はお坊さんの寺に存在していることが判明します。
彼は誰もいない場所で掛け軸を取り出し、静かに眺めているようでした。

では、お坊さんはなぜ取材の時に嘘をついたのでしょうか。
最初は掛け軸の危険性を理解しているからこそ、興味本位で見たがる人が出ないよう嘘をついたのかと思っていたのですが、エンドロールで掛け軸を見つめる彼は深刻な表情ではなく、むしろ微笑んでいるように見えます。
この時は危険視するどころか、掛け軸に惹き込まれているような雰囲気すらありました。

そしてもう一つ気になったのが、途中から取材に同行する心霊マニアの会社員・三澤です。
彼は怪談に関する知識が豊富で、ほとんどの質問に答えてくれるのですが、掛け軸について質問された時だけは、お坊さんと同じように不自然な沈黙を挟んだのち「分かりません」と返答しました。
2人には面識がないはずなのに、何故かまったく同じ反応です。
その理由について作中では語られる事がないため、視聴者が推測するしかありません。
私は三澤の反応を見て、知識の限界というよりも、知っているからこそ掛け軸の情報に触れた瞬間、言語化を妨げるような干渉を受けたように見えました。
もしそういった干渉が存在するのだとすれば、面識のない2人が同じ反応を示したことにも、無理やりではありますが説明がつけられそうです。

最後に

原作通りの静かな恐怖を感じつつ、映画独自の表現で物語の謎や不穏さを掘り下げており、ホラーとしてもサスペンス・ミステリーとしても楽しめる一作でした。
突然驚かせてくるタイプのホラーではないので、その手の恐怖シーンが苦手な人でも見やすそうです。

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