【感想】「正欲(朝井リョウ)」人々が信じて疑わない価値観に疑問を投げかける作品

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読書感想

この記事では「正欲(朝井リョウ)」のあらすじや感想を紹介していきます。

本書に登場するのは、マイノリティ(少数派)の中のマイノリティに該当した性的指向を持つ自分自身に、生き辛さを感じている人間。
正しいと信じて疑わなかった価値観が、徐々にぐらついていく人間。
マイノリティの中のマジョリティ(多数派)しか見ていない「多様性」を掲げる人間。
マジョリティを正義として振りかざし、マイノリティを悪として排除したがる人間。
それぞれが異なる立ち位置を取っている事から、読み手ごとに様々な角度から刺される作品だと思いました。

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【正欲】のあらすじ・登場人物

自分が想像できる“多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな―。
息子が不登校になった検事・啓喜。
初めての恋に気づく女子大生・八重子。
ひとつの秘密を抱える契約社員・夏月。
ある事故死をきっかけに、それぞれの人生が重なり始める。
だがその繋がりは、“多様性を尊重する時代”にとって、ひどく不都合なものだった。
読む前の自分には戻れない、気迫の長編小説。
第34回柴田錬三郎賞受賞!

登場人物(主要人物のみ)
寺井啓喜……検事 
桐生夏月……寝具店販売員 
神戸八重子……大学生 
矢田部陽平……小学校の非常勤講師
佐々木佳道……食品会社の会社員 
諸橋大也……大学生 

【正欲】はどのような人にオススメ?

・群像劇が好きな人
・読み応えのある作品を求めている人
・「多様性」を題材にした作品に関心がある人

【正欲】の感想

ネタバレが含まれておりますので、閲覧の際はご注意ください。

幅広い層が読みやすい設定になっている

本書はタイトルから連想される通り『性欲』に焦点を当てた作品であるため、人によっては過激な性的描写を連想して手を出しづらいと感じる方もいるかもしれません。
しかし本書において焦点を当てられる『性欲』は主に、
『多様性という言葉に含まれていない、マイノリティの中のマイノリティな性的指向=水を性の対象とする事』を指しているため、多くの人が連想しやすい過激な性的描写は無いと言って良いと思います。
どちらかといえば間接的に語られていたり、当人達にとっては全く性欲が絡んでいない形での表現が目立ちました。

また『水』という性的指向に関しても夏月から、
「水を使った作品とか撮ってるアーティストっぽく見えてたかもね、周りに人がいたら」
と言及されている通り、多数派にはむしろアーティスティックな行為に見えてしまう性的指向として扱われていたため、幅広い層がこのテーマに触れやすくなるように練られた設定だったように見えます。

せきゆら
せきゆら

結論を出せない難しい内容ですが「多様性」について考えるきっかけとして、未成年の方が読むのもアリではないかと思います。

冒頭から容赦なく物語へ引き込んでくる構成

本書は冒頭で名前を伏せられたある人物の独白や、男児のわいせつ画像を撮影していた等の疑いにより3名の男性が逮捕・送検された記事が出てきます。
この独白からいきなり『多数派の価値観』に容赦なく切り込んだ後に、生々しい事件の話で追い打ちをかけてくるため「何となく重い話だとは思っていたけど、本当に覚悟を決めて読まないといけないな……」と実感させられました。
冒頭からなかなかの試練です。

せきゆら
せきゆら

読み手を話へ引き込む力があった反面、先へ読み進める覚悟を試しているかのような出だしでした。

しかしこの冒頭を乗り越えて次のページをめくると、そこからはそれまで語られてきた話とまったく関連がない話が淡々と進んでいきます。
この脈略の無い流れに、はじめはとにかく混乱させられましたが、それでも何とか読み進めていくと徐々に冒頭の事件で語られた容疑者達の存在が浮き上がっていきます。
このあたりでようやく冒頭の事件が未来の出来事であり、知らず知らずのうちに最初から結末をネタバレされていた事に気づかされました。
この点と点が繋がる瞬間は、重い内容の話が進むなかで爽快感すら感じさせてきます。

せきゆら
せきゆら

特に冒頭の独白があそこに繋がった瞬間は、ついテンションが上がってしまいました。

しかし逮捕された佐々木や諸橋は、冒頭の記事に書かれた内容と異なり『男児ではなく水にしか興味がない』という事実が判明していきます。
これがまた新たな疑問を呼び、更にこちらを話に引き込んで来るため、冒頭から結末を明かした本書のこの構成は大成功だったのではないかと思います。

せきゆら
せきゆら

先入観で彼らを『悪』と決めつけるように誘導してくるところも、なかなか憎い構成です。

犯罪に対する線引きがはっきりしている

夏月や佐々木に諸橋と、何人もの『水』という性的指向を持つ人間側の視点から、人間社会での生き辛さを描いている本書。
しかしその一方で、同じ『水』が性の対象となっている谷田部の視点については一切描かれていないのが気になりました。
特に矢田部は今回起きた事件の元凶である事から、本編においては重要人物のはずです。
それなのに何故掘り下げられなかったのか、作者の意図は分かりません。
しかし夏月達と同じく『水』を愛するあまり、蛇口を盗難して逮捕された藤原も、矢田部と同等の扱いをされていたのを見るに、犯罪だと分かってやっていた人物に対してはどのような性的指向であれ、線引きする姿勢を取っていたのではないかと思いました。

せきゆら
せきゆら

矢田部と一緒に逮捕された佐々木と諸橋は、冤罪だからこそ矢田部側へ線引きされなかったのでしょう。

矢田部は矢田部で相当の生き辛さはあったのかもしれません。
むしろ「水」が好きなだけでなく、実行すればたちまち逮捕される小児性愛者でもある事から、考え方によっては彼がもっとも生きづらい立ち位置に置かれている可能性もあります。
しかしその苦悩を描くと「だから犯罪に走っても仕方がない」と、犯罪を肯定してしまう内容になりかねないため、あえて矢田部の心情は伏せられたのではないかと思いました。

せきゆら
せきゆら

とはいえ逮捕までの過程からして、佐々木や諸橋にわざと冤罪をかける意思があったように見えるので、その意図については聞いてみたかったです。

最後に

バッドエンドに近い終わり方ではあるのですが、明日を生き延びられる希望が残されたラストでもありました。
何より『普通』と呼ばれる人間たちが当たり前にように持つ「明日、死にたくない」という感情が理解できないと投げかけ、命を断つ事まで考えていた佐々木に、明日を生きる意志が芽生えていたところには救いを感じました。
冤罪によって社会的に『変態』のレッテルを貼られ、職まで失うという理不尽すぎる仕打ちから、最悪の終わりを想像してしまっていたのですが杞憂だったようです。

せきゆら
せきゆら

佐々木にとって、夏月と手を組めるかどうかが分岐点だったのですね。

また同じく冤罪をかけられた大也も、佐々木達が見殺しにするとは思えませんし、八重子も彼との話し合いをまだ諦めていないように見えたので、まだ十分に希望はあると考えたいです。

そしてこれまで『水』という性的指向の存在を認めていなかった検事サイドにも、ようやく理解を示し始めた人物が出てきたため、微弱ながらも光が見えるラストでした。

せきゆら
せきゆら

そう考えると決して悪人ではなかったものの、正論を頭ごなしに突きつけすぎて家族崩壊した寺井が、一番苦い終わり方だったかもしれません。

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